翁と農業

石川理紀之助翁は、山田村経済会を作り、山田村の負債全額を償還したが、 山田村経済会が成功したのは石川理紀之助翁が地主だったから可能だったんだという批判があった。
石川理紀之助翁自身は、秋田県庁を辞して山田村の一農民としてともに事業に邁進してきたつもりだったが、 そのような批判に、実践的な反証を示すために、明治22年(1889年)、自宅から1.5km離れた草木谷(現在の豊川山田)で 質素で貧しい生活を始めた。
貧農生活のみだけではなく、自身の誠意を世の中の農民に理解してもらうために、石川理紀之助翁は、 草木谷の生活を3年間続けた。

石川理紀之助翁 草木谷生活石川理紀之助翁 草木谷生活

資料館のある場所から、車で5分ほどだが、集落をかなり外れた山奥に入っていく。



石川理紀之助翁 草木谷生活

かなり山奥に小さな小屋があった。



石川理紀之助翁 草木谷生活

当時は蔵などもあったようだが、現在は、庵がやっとあるだけで、周囲は荒れていた。



石川理紀之助翁 草木谷生活

石川理紀之助翁は、貧農を体験するため小作農となり、山田部落の奥地草木谷で単身山居生活をした。 当時の山居は明治35年に焼失したが、同志とともに5時間で復旧し、これを五時庵と名付けた。 山居生活では、一日12時間働くことを目標として、睡眠6時間、食事雑用6時間、あとはすべて労働としていた。

石川理紀之助翁 草木谷生活

この庵は保存のため平成17年に修復されている。



石川理紀之助翁 草木谷生活

翁はここで青少年の教育にも力を注いだ。



石川理紀之助翁 草木谷生活

石川理紀之助翁が貧農生活を行った山奥の場所。



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